読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひそやかな望みを夜と共に置いてゆく

何事も陽と陰なのざぞ

朝なりてすがすがしく真に目覚めよ

お主たる心は望みもなく入れよ

兆、望みすら置き去れ

符、目覚めてれば分かるじゃろ

天、命に告げる

地、そのお主こそ何もない

名、望みないお主は宝を持つぞな

果、満ちて実るばかりだな

祈、霊祖神人

何もなかろう

お主のことかな

開かれたわけもなく、あるわけもない

何もない何もない

お主の見たいものはそのままだろうが

知りもしない知りもしない

それだけのこと、分からぬ分かる分かる分からぬ

神のものとてお主にはすぐかいな、あらせあらせ

そんなものはないそんなものはない

神のものは神のものなり

やわらかくなお主のような命なりよ

自然にな、あらせあらせ、どうなりよ

気前よく優しくなごやかに生きなされよ

神も喜ぶじゃろうよ

目隠ししてるわけじゃなかろう

神の崇敬さは見たままじゃからな

あれよあれよとなぐさめにもならぬ芝居はやめよ

神の前では自然で良かろう、善悪の人なりよ

あれさあれさ何事も芝居はやめい

神の前でも人であれよ

芝居は魂は歪んでしまう、人であれよお主のなぁ

どうにもならんことあるわけないなりよ

二つとない神の姿は簡単にはならぬなりよ

出来たと思うことすら神の優しさなりよ

ふがいないなと納めないように神の心はいいもの

美しいのは神のものなり

やがてはお主も来たるなり

ほどほどになぐさめにもならぬわけじゃなかろうて

言いきれば吉かいな

見納めば吉かいな

何もなければ吉かいな

うっすら気づいてるよな

そこは神ではなくてお主の心なり

くだらぬ儲け話に神を担ぎなさるなよ

神は神のものよ、お主の心にあらず

言いきれよ、恵みは豊な神のものなり

幸い豊な神のものなり

まして人の心に祈りあり

神の心に感謝なり

神を社、大事にいたせ、恐ろしいほどにな

優しく感謝いたせ、お主の心にはまだはまらぬ

神の姿いいものぞ

良かろう良かろうすぐ分かる、神のものだから

神のものは良かろう良かろうすぐわかる

お主そうなれよ

神のこと通じて待つなり、愛もすぐなり

学ぶなり、神の言葉を、解き明かすなり

すぐ分かるわけじゃなかろうてすぐなすぐな

少し少しは歩くよう食べるよう寝るよう

お主の心はいつまであるかいな

神は心はどこにあるかいな

長く長く続くのだからな、忘れないように

長く長く続くのだからな、神の姿を見失うなよな

お主のこと神は神とて、お主の心じゃないなりよ。

神社とは

お主のためではござらんよ、何がって

言い訳もないほどに神様たちのものであろうが

どうしようもなくないほどにな

願いごとも思う存分すれば良かろうが

神の目に見つめられてお主の鏡に会うだけだろう

突拍子もないこと起ころうぞ、人の善悪身近なり

気をつけよ、やられる時はあっという間じゃから

軽々しくも重々しくも神の前では同じことじゃ

まして神の言葉はお主のものではござらん

神のことは人の精鋭つくりたる稀なごとくなるもの

枠ぐみはお主みたいな個人的にはこじ開けれんよ

それが神の世の堂々たるものじゃよ

お主だからどうとも良かろうが、間違わないぞな

気軽に気分良く生きなされな

恵みは有りがたきもの、神の手、人の手、分けるな

堂々としとれよ、よく考えてみよ、お主

神の社は神が造りたもうものなり

そこに人が行けば、そりゃ神の流れに乗るなり

神の流れも色々なり、人の善悪なり

結局は自らのなす道なり

どうにもならんことあるわけないなりよ

ならばなぜ神の社に向き合うなりか

そこに崇敬なものあるなり

今しばらく考えたり

所詮、お主は人なりよ、浅ましいなり

神のことは神のうちなり

願いなくやって来るなり

神もわざわざ言わぬよ

自然に良心になせるなりよ

くだらぬ芝居やめちまいな

お主の心は神ではないなり

神の心は自然なり

くだらぬ心はいらぬなり

よく考えてまた来なさい

神の美しさは神のものなり、いつもあるなり。

神社 参拝 顔 感謝 気持ち

神社参拝すると顔は正しくなります。
きれいになる、清くなる、真心になります。

なぜでしょうか

参拝は神様に感謝するからです。
尊いものに巡り合うからです。

なぜか

願いが欲深ければあれですが、
あれは神様に会えないかもなですが。

感謝をして崇敬する気持ちであれば、
人の顔の気は調えられて美しくなります。

神社参拝は生きている感謝をしましょう。
神様に感謝をすると神様も喜ぶのでしょうね!

神域 神社 参拝 スピリチュアル 気分 霊的 霊妙 霊験

霊的に繋がる実感とは、
よくもわるくも内心と外観(現実)は同じ、

人の内心なんぞ
一人ではどうにもならん現実なんだから
執着そのものがいらんのだぞ

とまあブログに無意識か意識か
流れのままに書いていて、
意識は俯瞰して、こんなこと書いてると思ってる。

つまり、守護なりチャネリング
何かを伝えてくれているのだろうな

では神域の話、
そこに行けばきれいだなと分かる
それは言葉でも誉められるし
感覚的にも分かる 同調

さっき風呂入ったら風呂場がきれいに見えた
思わず神様いるんだなと思った
水の神様ありがとうございますと言った

そう言えば
朝にふと洗濯もののCMを見て
干された洗濯ものがきれいに見えて
水の神様がいるんだなと思った

その他愛もないことが風呂場に反映したんだな
ちなみに入ったあとに
弁財天様のお札に意識がいったし
お札を見たということです
色々なお札を持ってて
その時の気分で目にするお札は自然と変わる。

神様ありがとうございます
また御会い致しましょう!

神社の方のようです

 貴方様に御会いしたくなるのです

どこのどなたでしょうか、神社の方ですか

 そうでしょう、来てくれたら嬉しいのです

どこの神社でしょうか

 色々です

そうですか、参りましょう

 ありがとうございます

こちらこそありがとうございます

君の名は。

見てないけど、思うこと。
やはり人気だから気になりあらすじは調べて
知ったり、他の人の意見を読んだり。

つまるところ、
見てないが、書きたい心情は、
何か言いたいわけで。

これだけ人気あれば、
集合無意識に植え付けられ作用する。

そしてシンクロ、
物語はかつてあった事実かもしれないし、
これから起きる事実かもしれない。

君の名は。というくらいだから、
名前にスポットがあたるのかな、
と思えばそうではないようで。
しかし、名前は確かに重要である、
その自分の名は自分を現すだろうし、
他の誰かを現す名前かもしれない。
例えば、有名人の名前、店員の名前、
または、ニュースで事件を起こした名前など、
その名前の持つ力ゆえに表舞台まで登場する、
のだとしたら。
あまり他人は気にしない他人の名前には、
物事の中心をポンと現して、
渦を巻いて物語を作る引力がある。

というふうに、君の名は。の物語に関係ないけど、
名前について思うことでした。

集合無意識の話は、
これだけ物語が認知されたら、
その波動が高まり、
物語を知らない見てない人が、
あたかも物語のように巻き込まれるかもしれない。
巻き込まれてるのすら分からないように、
運命は気づかないうちに流れている。