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みこと ことだま よいよいよい

満行天告喜徳 

山果龍命剣霊

神気祝空巡宝

時至千心調誠

合社八百万道

貴鳥声秀流照

福意現地愛優

応天有帝国璽

天地 奏でた 豊かさよ 尊い 貴方の誉れよ!

かみもなごやかにまいおどる

ほとけさきらくにいきてみよう

そんなことばにすがたはかくしてしまう

いいからうたえばやがてまるくなるよ

しあわせにはきづくことみちたりたねがいだよ

すごいとやさしくつたわるよ

こころはかろやかなにごともかわらないのにね

ふしぎはてんとちからのうまれたいのりだね

いきぬきにまことのみのりがふくらんでくる

さいさきのよいことはみずからのみたまがえらぶ


いい歌が書けました
上記の平がなの言葉です
祝詞のように頂きに奏でる気品から生まれました
気楽にかろやかに降りてきた精霊のように
ありふれたとるに足らない意味にも深さがあり
それは自らが宿した美しく素晴らしいことです
外界にもたらした成果がふと内界に実り落ちる
不思議な天地の活動のように龍がいるみたいに!
運命にありがとうと感謝できるものは幸せだな! 

歌 山に降りる 龍の姿は 祈り

龍意至誠 雲水使祈

(龍のようにね、祈りは恵みのようだね)

実意誉真応天剣

(天の剣はね、誉められ真意に実るよね)

合地満類 善好徳円

(満のは好ましいことさ)

兆山月照 心霊神璽

(月が照らした山のように告げているよ!)

神社 シンクロ 霊妙 霊的 相性

好きな神社がある
基本的にはどこも好きだけど

それでも気になるポイントというか
自分がこの神社のどういうとこをどういうふうに
好きかという理由は神社ごとに理由も異なる

今から話すとこは
境内の末社を参拝すると
祖母を思い出す
何度来ても祖母を思い出す

こういう祖母を思い出すとこは
実は他にも数ヵ所ある
気が祖母と同じなのか
祖母が神霊なのか
どれも末社で起きる
祖母は神界にいるのか?とか考える

そしてシンクロは起きた
ある日いつものようにこの末社に来ると
足下に自分が持ってるものと同じものが落ちてる
ありゃ落としたかと思ったら
そうではないようで落としてなく持ってた

どういうことか
やはり神様は知っているという合図だな
不思議だなと思う

何度も参拝すると
自分のゾーンは外界にも影響を与えるのか?と思う
この話は前に起きたことで

この末社にはアマテラスさま
弁財天さま
稲荷さまの三柱が祀られている

実は今日自分の手の指が勝手に動き
指でキツヌをつくる
何かモノを申してくる

霊妙なものが語りかける
社に祀れと言う
庭か家かどこか聞くとどっちでもいいと

ちょうど御札もアマテラスさま
弁財天さま
稲荷さまがあるので
前途の末社と同じ三柱にできると気づいた

そこの神霊が来てるわけじゃないけど
この同調に合わせるのは面白そうだと思う
なぜならやはり神界に通じてるサインだと思う

シンクロ 導き 気づき 剣 同調

仕事を午前中に切り上げて
ふらっと神社巡りをしに行く

晴れ渡る空の日に足と心は神社に向かう
途中に銀行で250円を5円玉を50枚に両替する

神社巡りは地元の神社で
この日は十社ほど
時間にして四時間半くらい

シンクロは
途中に通行人の背中のバックが
チャック開いてたこと

鏡的に自分のことか?と感ずく
もちろん物理的には自分の背中のバックは閉じてる
この日は仕事からの流れなので
仕事道具がバックに入ってる
いつも神社巡りは手ぶらでしてるから
なかなかこの道具を持っての参拝は面白い!

なぜなら神様から見たら
バックが空いてるようなものだから
バックには剣のようなものが入ってる

スサノオノミコト
ヤマトタケルノミコト
などなど剣の命の自分がまさに参拝をしている!

いい日だった!
このシンクロは神様は知っているという合図だね

我が痛みは人のもの 神に痛みはない

念じれば吉

何が?

夜毎に思う正義よ
誠よ真なればこそ実りだと思わぬか

つまり想念はいつも誠実であれと言うわけね?

果たさずの下らぬ心情など
重ね費やしてもゴミクズのようだのう

誰のためにか?

自らか
神か
真か
祈りか
心か
霊かな

はい、了解!
分かりました、ありがとうございます!

今回のブログの命題は
いかにして神社参拝を続けるかである

とりわけ自分は色々な神社に
ただ参拝をしに行く
けれど根本的に何か手応えを造りたいわけだ
積極的にね

現時点の考察は
願いは自分の望か
または他人からか
または神様からか

願いそのものも次元を上げたい処だ
何を参拝することが高位足り得るのかだ

何千年前から伊勢の神事は行われているらしい
これは平和の象徴であり儀式であり
実際的な現実における神様との交わりだ

庶民の自分が神社参拝をして
このような神事にまで
行為を高位化することを目指したいし

験力で祓いや祈りの効果が得られたら
何だか格好いいなと思う

ではどうやるか?

霊視なり感覚を鍛えることだろう
なぜなら見ている世界を越えて新たな局面に
突入するには想像力を行使して
霊視なり感覚に見えないものが引っ掛かると思う
とにもかくも受動的ではなくて
積極的に想像力を働かせて前進するわけだ

なぜなら?

単に面白く
有意義な高位の祈りを具現化出来て
自らは有効的な演者という能力者になるのだ

どうする?

現時点で
すべての高位は先人の文明であり
高位を目指すことは先人の真似事なわけだ

何かしらの自らのアイディアが
神の御心に叶い
満足する結果や流れになることをやろうと思う

神様は何を望むのか?

神社参拝の願いは神様の願いでもあり
いかに自分の願いを高位に高められるか
その実践が問われる

何事もなく、朝

夜、移り変わる願いは流れ動いている

清らかに、止まる空気の香りに似ている、朝

何事もなく移り変わる心。